12日で南アルプス全山縦走達成から満15年になる。当時としては10泊11日と自己最大の縦走となった。又、停滞が一度もない縦走としては現時点でも最大の縦走である。90年代前半に大雪で単独縦走を行ったが、それからより大きなスケールの単独縦走を求めて、まず南アルプスのこの縦走に行き着いた。当然ながら2002年の北アルプス主脈全山縦走につながっていき、2週間以上と更に大きなスケールの縦走へとつながっていく。
夜叉神峠登山口をスタートし、鳳凰三山~甲斐駒ヶ岳~仙丈ヶ岳~白峰三山~塩見岳と駆け抜け、三伏峠までは前年台風で断念した縦走も同様である。以後更に赤石山脈をたどるが、荒川三山~赤石岳~聖岳~光岳と駆け抜け、最後は長い長い林道歩きの末寸又峡温泉へと下山した。当初は下山ルートの短い長野県側の易老渡へ下山する予定でしたが、9日目の宿泊地である聖平で出会った人により、予定変更となった。
当時は大学最終学年で卒研に明け暮れ、夏休みもそれまでよりかなり短くなっていた。そんな中、どうしても諦め切れないものがあり、限られた休みを目一杯充てて行った。前年の97年にほぼ同じ計画で縦走を行ったが、中盤に台風に遭い断念してしまった。当時は翌年に最終学年を控えるため、これが最後のチャンスとして捉えていた。
本来であれば就職活動は既に終了し、内定をもらっていなければならなかった。縦走を行った当時は残念ながら内定が1つもない状態であったが、お盆も近い事もあり就職活動より念願の縦走達成を優先した。もし担当教授の指示に従い順当に就職活動を行っていれば、本州での工場勤務にでもなっていた所でした。しかし、将来的に北海道に戻るという気持ちは強く、当時の自分はそこで10年20年やっていける姿が想像できなかった。
もちろん大学卒業して順当に就職し、その会社でずっとやっていくならば、これだけスケールの大きな縦走はお盆休みと有給休暇をそれだけ取れる様でなければ無理だろう。ましてや、後に行った北アルプス主脈全山縦走の様に、2週間を超える更に大きなスケールのものとなると尚更である。それには、それだけお盆休みに加えた有給休暇が取れる所に行かなければならないが、かなり厳しいだろう。
もっとも、時代が下ってインターネットビジネス・投資でやり繰りできる可能性がわかれば、それに全力投球していただろう。そうなれば心置きなく思い切って縦走できる時間が取れる様になり、縦走などの記録の製作もスムーズになり、公開する登山サイトの充実も図る事ができる。ただ、ひたすら仕事をしてどんどん稼いだ資金をきちんとやり繰りするという方法を、もっと早く気づかなければならなかったと感じずにはいられない。特に千歳の半導体工場を切られ、専門系への道がほぼ絶たれたというならば。
残念ながらあの大縦走以来未だ南アルプスには足を運べていない。大学時代手つかずだった北アルプスの縦走などに力を入れた事や、南アルプスの百名山をこの縦走で達成してしまった事が大きく、他の山域の百名山登頂にも力を入れてしまった。ただ、今後日本列島横断山行の接続山行や日本二百名山登頂で、再び南アルプスに足を運ぶ可能性はあるが、今後数年以内になれるかどうか。