例の不払いにおいて11日に労働基準監督署へ申告を行ったが、更なる対策のため日報の記録を求めるべく中間の会社に連絡を取ってみた。午前中に電話をかけたが留守電になっていたため、用件を録音してもらった。午後になって連絡が来たのですが、まず無断で逃げてきた事を厳しく。ただ、一方的に攻められ門前払いになるという訳ではなく、色々諭されたのが救いだ。賃金は行きの飛行機代の分は引かれるとの事ですが、不払いについては払う様社長には言っておくとの事でした。何だかんだで20分近く話し、肩の荷が軽くなった感じがした。又、不払いの問題は中間の会社や元請けではなく、直接不払いの会社との間の問題である事もわかった。しかし、16日の段階では未だ支払はなく、労基署から何も連絡は来ていない状態である。
東北に行くまでの当面の働き口が札幌市内ならば「夜逃げ」になる事はなく、今回の様な大問題に発展する事はなかったかもしれない。というか面接の話の通り最初から札幌市内であれば良かったものだ。確かに私が「夜逃げ」したのは大きいが、不払いの会社自体当初言っている事と内容が乖離している上、電話やメールの対応に対し充分なサポートをしてくれなかったのが大きい。加えて、当初応じると言っていた賃金の週払いにも対応してくれず、経済状況が悪化した。その上で都内の会社での激しいパワハラや酷暑といった苛酷な環境もあった。不払いや夜逃げ以前にそういった背景が色々あるため、労基署で対応できない場合も想定して後日別の相談窓口にも総合的に相談していただける様考えている。
自分で言うのも難ですが、これまで一方的にやめて逃げるケースはなく、今回はまさに余程の事なのである。むしろやめるべきなのにより長く勤めて裏目に出る事が結構あった。特に半導体工場を切られて程ない2000年代初めは顕著で、もっと早くやめて別の職場・業種に方向転換すべきだったと思えるものだ。そうすればまた違った人生になれたと思える程であり、本来目指したい仕事があり目標があるなら尚の事である。それから考えれば今回は早めの方向転換とは言えなくもないが、無断で逃げる前にワンクッション置ける様にしなければならなかった。
当時の余りにもひどい状況を我慢し続けた結果、その反動でニート同然に陥ってしまった事を考えると、早めの方向転換は大事だったのではないかと思えるものだ。夏場のお中元シーズンのみのアルバイトで入ったが、別の会社の社長の話に乗ってしまい、その後ズルズルと悲惨な労働条件・待遇になってしまい、お歳暮シーズンまで続いた。これがニート同然になるきっかけであった。又、その後勤めた職場の中には1週間でやめてもいい位ブラックで、実際私がいた時でもその位の期間でやめている者もいたにもかかわらず、冬場1シーズン勤め上げた事もあった。
背景として、大学を卒業して折角就職を決めて正社員を目指すべき半導体工場を僅か3ヶ月で切られた上、その後に勤めた会社でも3ヵ月半で切られてしまった事からも、どんな所でもまずとにかく勤め上げなければという思いができたのだろう。コロコロと転職するのではなく、まずはどんな職種でもいいからまとまった職歴を作るという事である。合間を見てより相応しい職種への就職活動は続けていたが、何より就職活動だけでは食べていけないですから。