6月上旬より夏場の仕事として携帯電話製造の仕事を行ってきたが、今月21日より約1週間余りは千歳工場での勤務となった。まずはいつも通り札幌工場にマイカーで出勤するが、そこから千歳工場までの往復はタクシーを相乗りして行う。尚、タクシー代は会社負担で、高速道路も利用する。札幌工場からは現時点で最大で6名派遣されている。
仕事内容はこれまでの簡易検査を主としたものとは違い、梱包材の組み立てや説明書などの梱包、携帯電話の品出しやシール貼りなどが主となる。ただ、こちらは来月から例年通り冬場メインの仕事に移動する事となっており、まさに最後の一踏ん張りである。順当にいけば携帯電話製造は来夏にまたやる予定であり、今シーズンはまさに更に来夏につなげるために頑張ってきたと言っていいものである。
千歳・泉沢の臨空工業団地にある工場で仕事をするのは半導体工場にいた2000年11月以来約16年振りとなる。その間工場系の仕事は2007年5月~8月の和菓子製造の仕事以外はないと言ってよく、実質昨夏から始めた携帯電話製造が久々であり、「暗黒時代」が長く続いたと言わざるを得ないものでした。
特に半導体工場を切られてからの2000年代始めは、運送系などきつく条件が悪い仕事に甘んじる事を余儀なくされてきた。それこそ、その頃に今回の様な仕事に就ければ随分と違っていたと感じずにはいられないものがあり、むしろ今の方がましではないかと思えるものがある。特に2001年12月は休みが僅か1日のみで、20日以上の連続勤務の上連日深夜までの15時間以上の労働が続いた。この連続勤務の記録は2016年9月現在においても破られていないというか、今後抜く事があってはならない記録である。
その当時については当運営サイト「ポトリス博物館」の「ポトリス物語第1話 ポトリスとの出会い」の終盤にも記している。プロバイダの機関紙でオンラインゲーム(ポトリス)の情報を知ったもの、仕事が忙し過ぎて手を付けられない状態であった。そして12月に入ると、上記の記録的な連続勤務に至るのである。運送業なのかどうかは別として、当時は職場的にそれだけ働き続けるのが当たり前であり、20日間連続で勤務しても「無理するな」と言われた事が一度たりともなかった。その上稼ぎは半導体工場にいた時と比べても良くはなかった。
その反動もあってか、2002年早々に一旦仕事を離れてオンラインゲーム(ポトリス)にどっぷりはまり、失業保険受給期間を含め、半年余り職に就かない状態が続いた。その後現在でも続けている冬場メインの灯油配送の仕事に就く一方、2000年代前半は夏場をメインに専門系をメインに就職活動を行ったが、叶わなかった。そして専門系・製造系に就けない状態が長く続き、インターネットビジネスの可能性を追求する事になっていく。