6日の午前3時過ぎに明らかに大き目な揺れに目覚め、とっさに部屋を出て居間に避難したが、植木が倒れたり神棚にあるものや棚の上ののが下に落ちたりした。冷蔵庫や仏壇などが少しずれた他、自分の部屋では本棚にある本の一部や上にある段ボールが落ちてきたりした。そのまま寝続けていれば怪我でもしていたかもしれない所であり、危なかった。これまで道内では経験のない揺れの大地震であり、これが北海道胆振東部地震と名付けられた道央圏で観測史上最大と言える大地震となった。
札幌市内でも最大震度6弱となり、市内南東部の清田区では液状化現象による被害が発生した。震源に近い胆振東部では大規模な土砂崩れが発生し、数10名もの死者が発生した。道内最大の発電量である苫東厚真火力発電所が被災し、ブラックアウトにつながった。これは東日本大震災でも発生しなかったものである。
地震発生から明け方になるまでに停電となり、6日は少なくとも自宅の方は終日停電であり、市内のほとんどの信号機が消えていた。又、午後になってスマホのネットがつながらなくなる。15:04に砂川の火力発電所が復旧した。22時頃にようやくスマホのネットがまたつながる様になった。7日の午前中にはようやく自宅の電気が復旧したが、ひとまずPCが無事である事を確認した。家の近くの信号機は付く様になったが、まだ一部付いていない所もあった。8日にようやく信号機が機能する様になった感じである。幸いでしたのは、自宅のガスや水道は止まらなかった所である。市内のガスは大丈夫だったが、水道は清田区を中心に一時断水となった。
道路が波打って通行止めになっている個所がいくつもあり、地下鉄東豊線が下に通っている東15丁目通りは通行止めになっており、復旧工事が行われている。スーパーやコンビニなども物流が完全でないのか品不足が目立ち、24時間営業のスーパーの一部が日中のみの時短営業を行っていた。生活の完全復旧はまだ先である。
個人的な所も含めてですが、今回の地震が真冬でなくて良かったと思っている。真冬であれば暖房で電力の需要が秋に比べて逼迫し、大規模な停電が長時間続けば低温による死者も多く発生するでしょう。もちろんですが、雪の影響も避けられないものであり、復旧工事にも影響する。こちらは仕事が非常に忙しい時期であり、この様な地震がこの時期に起これば体力的にも精神的にも困憊してしまうでしょう。
一方、大学時代90年代半ば、大学があった所も今回の様な程度の地震に襲われたが、当時冬休みで札幌に帰省していて直接自身は遭遇しなかった。しかし、自分のアパートに戻った時には本棚など棚から落ちたものが床に散乱していた状態であり、少なくとも今回程度の大地震に襲われたという事でした。
もし卒業後北海道に戻らずに東北の太平洋側の県か北関東の東北寄りに就職し、更に辞めずに12年以上勤続していれば、東日本大震災に直面して今回と同程度以上の揺れに襲われていた事でしょう。更に太平洋に面した所で海岸から近ければ、未曽有の大津波にも襲われ最悪の事態になっていた事でしょう。それ以前にも2000年代後半にも今回に近い程度の地震に襲われた事もあり、少なくとも今回の地震発生までは、北海道の道央よりも大地震に遭遇している事でしょう。
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